小さな幸せ

「やーい、ルカのヘタレー!」
「ヘタレのルカちゃまー」

スパーダとイリアが揃って、ルカをからかう。ルカも最初のうちこそ何とか言い返そうとするものの、基本的に気の弱い性分のせいか、ろくに反論も出来ずに泣き出す。
もうすっかり御馴染みになった、いつもどおりの風景だ。

「もうイリアもスパーダ君も、いい加減にしなさい」

すっかり涙目になってしまったルカをかばう様に、アンジュが主犯二人を咎める。基本アンジュに逆らえない立場にいるスパーダたちは、不満を漏らしながらその場を離れるのである。

「またか」
「またや」

その一連のやり取りを、外れた場所で眺める大小二つの人影。
リカルドは子供たちのやり取りに好き好んで絡むことはないし、エルマーナもまた傍観する立場を取るようにしていた。
前世の関係からすればエルマーナはルカの保護者になるのだが、どうやら今生では放任主義を貫くことにしたらしい。
視線の先では、泣きじゃくるルカを宥めるアンジュの姿があった。
はいはい泣かないの、とルカの頭を撫でてやる姿はまるきり面倒見のいい姉である。

「アンジュ姉ちゃんもマメやねぇ」
「性分なんだろう」

まだ泣き止まないらしいルカは、ぐずぐずと鼻をすすっている。
目線を合わせるようにしゃがみこんだアンジュが、ポケットからハンカチを取り出して渡してやる姿も、完全にいつもどおりだ。

ふと、アンジュの手が止まった。
取り出したハンカチを一瞥して確認すると、何かに気づいたのか慌ててポケットに仕舞いこんだ。最初に取り出したのとは逆のポケットから別のハンカチを取り出すと、ルカに手渡す。

「はい、ルカ君。ハンカチどうぞ」

ハンカチを受け取ったルカは恐らく気づいていないのだろう。そのまま涙を拭いている。

「もー、兄ちゃんいい加減に泣き止みぃやー」

そのうち見ていられなくなったのだろう、エルマーナもルカの傍に駆け寄る。
少し背伸びをするようにして頭を撫でてやる姿はとても年下とは思えない。

「セレーナ」

名前を呼ぶと、くるりとこちらを振り向く。淡い紫をした瞳が、ぱちりと瞬きをする。

「はい、どうしました?」

にっこりと微笑むその姿に先程の動揺は少しも残っていない。この切り替えの速さにいつも驚かされてしまう。

「ハンカチ、取り替えただろう」

ぎくり。白い肩が揺れる。それも一瞬のことで、すぐにいつもどおり落ち着いた表情になる。

「あら、ご覧になってたんですか?」
「ああ」

相変わらずアンジュは微笑を絶やさない。人好きのする笑顔は美しかったが、リカルドは眉ひとつ動かさなかった。

「そう大事にするものでもないだろうに」

ふう、と溜め息混じりに声を落とす。呆れが混じったようなその声にアンジュはぷくりと頬を膨らませる。

「駄目ですよ」

アンジュが慌ててポケットに仕舞いこんだハンカチには、見覚えがあった。
周囲をレースで縁取り、片隅に刺繍が施してある。刺繍の意匠はスミレ草、アンジュの好きな花らしい。
それはリカルドがアンジュに贈ったものだった。いつだか傷の手当てか何かで汚してしまったから替わりに、と贈ったもので一緒に選んで買ったものでもある。
しかし、だからこそ理由がリカルドには分からなかった。ハンカチは元より消耗品なのだから汚れたら洗えばいいし、それでも駄目なら捨てればいい。そもそも汚して駄目にしてしまった物の換わりにと贈ったものなのに、そう大事にされていては意味がない。

「物は使ってこそだと思うが」
「それはそうですけれど」

頬を膨らませたまま少し離れた場所にいるルカたちへ目を向ける。すっかり泣き止んだのだろう、笑顔が浮かんでいる。
ちらり、とアンジュがこちらの様子を伺う。目だけで見てくるので、こちらも目だけで問い返す。

「……折角リカルドさんに頂いたものなんですから、大事にしたいじゃないですか」

どういう意味か、と聞き返すより先にアンジュは顔を背けた。白く丸い耳がほんの少し赤くなっているような気がするのは、気のせいだろうか。

「……なら、何故常に持っている?」

続いて出た質問にアンジュは振り向かなかった。巻き髪のポニーテールがそよりと風に揺れる。

「大切なものは、いつも傍に置いておきたいんです」

そういう性質なんです、わたし。早口に言い切られる。張り出した耳の赤みは、先程より増しているようだった。
思わず噴出してしまうと、それに気付いたのだろう。今までにない勢いでアンジュが振り向いた。

「ちょっと、何笑ってるんですかっ」
「いや、すまない」

振り向いた顔が思った以上に真っ赤で、それが可愛らしくて。そう続けると、まるで先ほどのルカのように涙目になってしまった。

初出:2012年ごろ
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