100グラム

100グラム足りなかった! てアンジュ姉ちゃんが叫んだ。学校の宿題を閉じて、キッチンへ向かう。

「どないしたん?」

キッチン中に香ばしくて甘い匂い。その真ん中にエプロン姿の姉ちゃんがいた。

「大変なの、お砂糖が足りなくなっちゃって」

テーブルの上には、いろんなサイズのボウル。それぞれバターとかミルクとか小麦粉とか、ええ匂いの素が入ってる。

「お砂糖減らしたらええやん」
「だめ」

きっぱりと一言。

「お菓子は材料をきっちり量るのが大切なの。目分量で調節なんてしたら、台無しになっちゃうのよ」
「そうなん?」
「そうなの」

だから、お使いにいってきてもらえる? と頼まれて部屋を出た。五時前やけどまだ明るい。
アンジュ姉ちゃんがお菓子を作る理由は簡単。
バイトのお給料が出たんと、リカルドのおっちゃんと逢えるから。あのお菓子はきっとおっちゃんへのプレゼントや。

二人がどういう経緯でお付き合いしてるんかは知らん。姉ちゃんはナンパされたのを助けてくれた、て言うてたけどおっちゃんの方に確認したことはあらへん。
アパートのすぐ近くにあるスーパーは、何度か行ったことがある。メモどおりの砂糖を見つけて買い物かごに入れる。ふと、隣にあった角砂糖を手に取って見た。裏面には総重量100グラムの文字。

100グラムは割と重い。なるほど確かにこんだけ減らしたら美味しくないやろな。
お菓子の材料はきちんと量るのが大事、て姉ちゃんは言うた。ボウルにたくさん入ってたあれは全部姉ちゃんの愛情なんやろか。
味も大事やけど、愛情を減らしてもええってのは、確かに変な話や。


おかえり、ありがとうと一緒に焼きたてのマフィンをくれた。あったかくて甘くておいしい。

「あとはフロランタンね」
「え、まだ作るん?」

オーブンの中にはマフィンの二回戦目。で、今転がしてんのはクッキー生地。さっきお砂糖が足らんて言うたんが、フロなんとかやろか。
昼過ぎにチーズケーキも作ってた。なんぼなんでも量が多すぎるんと違うか。

「あなたやルカくんたちの分もあるし」
「うん、それはありがとうやけど」

リカルドのおっちゃん、こんなに食べるん?

「全部リカルドさんにあげるわけじゃないのよ」

心の中を見透かされたような答えにどきっとした。姉ちゃんはにこにこ笑うだけ。

「リカルドさんのお仕事先とか、お兄様にもお渡しするし」
「はあ」

おっちゃん、兄ちゃんおったんか。なんかそんな話してたような気ぃする。

「……やっぱりお砂糖減らした方がええんちゃう?」
「だめよ。さっきも言ったじゃない」
「でもおっちゃん、甘いの得意ちゃうし」

コーヒーは基本ブラックやし、ケーキ食べてんの見たことないし。
ウチも甘いもの好きやけど、めっちゃ好きってわけでもないし。たくさん食べたら調子悪なるし。
せやからこの量は、ちょっと気の毒ちゃうか。

「ほら、あんま甘いのばっかやと飽きるやん?」
「大丈夫よ。クッキーは甘さ控えめのレシピだから!」

自信満々の顔で姉ちゃんは言う。姉ちゃんの甘さ控えめて、おっちゃんには充分甘いやつでは、て思ったけど黙った。少し冷めたマフィンを齧る。

ごめんリカルドのおっちゃん、ホンマごめん。せめて一緒にお菓子食べるから、あと惚気も愚痴も付き合ったるからちょっとだけ許して欲しい。
他人の愛情に口出しするとか、ホンマ浅はかな考えでした。

再録 初出:2019年頃
お題→ リカアンとエルマーナの話を考えている萩乃さんには「100グラム足りなかった」で始まり、「浅はかな考えでした」で終わる物語を書いて欲しいです。
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