ゴンドラの唄

「ごめんなさい、わたし好きな人が居るんです」
アンジュは綺麗だ。同じ女のあたしから見てもそうだし、ルカもスパーダもアンジュは綺麗だって言う。
その証拠に訪れる街で必ず一回は男にナンパされてる。横に美少女が居るってーのに、まるっと無視とかありえないと思うんだけど。あたしにだって声かけたっていいじゃない。胸がないのが悪いってーのかしら、むかつくわ。
それはさておき、アンジュはナンパをそうやって断る。それであっさり引き下がる奴もいれば、俺の方がいい男だとか訳わかんない事言いながら迫る奴もいる。さすがにそこまで行くと、あたしも止めるんだけど、そしたらアンジュはまたにっこり笑って口を開く。
「わたし背が高くて仕事熱心で、いつもは厳しいけど本当は照れ屋で面倒見のいい、黒いコートが似合う男の人が好きなんです」
だから貴方とはお付き合い出来ません、ごめんなさい。極上の笑顔と水のように零れる言葉に勝てる男がいるのだろうか、いや多分いない。元々人に話をして回るのが仕事だったし、喋るのは得意だって自分で言ってるし。突拍子もないかわし方だと思うんだけど、意外にそれで引き下がる男は多い。
でもそのかわし方の一番の問題は、突拍子もないように見えて、それが全部事実って事。
「……あのさー」
「なあに?」
そんな訳で今日もアンジュはナンパされた。
今回の男は食い下がってくるタイプだったけど、アンジュと何か喋ったら気がすんだのかさっさとどっか行っちゃった。ありゃ多分自分の手に負える相手じゃないって分かったんだろう。
「……それ言わないの?」
何を、誰に? そこまで付け加えなくても分かるだろうから、省いた。
アンジュは数回瞬きした後、ほっぺたを膨らませながら恥ずかしいじゃない、って言った。
いや多分相手も恥ずかしいと思うんだけど、しかも尋常じゃなく。もしかしたら驚いてこけるかもしれない。あのデカイ図体がこけるのはちょっと間抜けすぎるわよね、見た目がいいだけに出来たら見たくないなぁ。
「折角だから、額に傷があって髭が似合うロン毛二十七歳って付け加えたら?」
「駄目よ」
アイスティに添えられたストローを咥えたまま、言う。
「そんなことして気づかれたらどうするの」
大丈夫、今の状態でも充分気づくから。
ルカはどうだろうなぁ、少なくともスパーダとあたしとエルは気づいてるから。そうやって返したら、また膨れた。真っ白なマシュマロみたいなほっぺたが少しだけ赤い。
「背が高くて仕事熱心で、いつもは厳しいけど本当は照れ屋で面倒見のいい、黒いコートと髭が似合う額に傷のあるロン毛の二十七歳ねぇ」
そんなのどこの街に行ったって一人しか見つからないに決まってる。
あたしはまだ子供だし沢山の人を知らないけど、その条件に当てはまる男は多分この先一人しかいないと思う。アンジュが好きなのは、この世にたった一人その条件が当てはまる、そういう男だ。
「ところで、その条件にピッタリ当てはまる人が来たらどうすんの」
もちろんあいつ以外で。アンジュはうーんと考え込む仕草をして、アイスティを一口飲んだ。グラスの中の氷がバランスを崩して甲高い音を立てる。
「でもわたしが好きなのはあの人だから」
今日一番のいい笑顔で言われた。それじゃ好きな人がいますっていうか、好きな人は黒いコートが似合いますっていうか、あいつが好きですでいいじゃんって気もするんだけど……あたし間違ってないと思う。
もしかしてアレってナンパをやり過ごすんじゃなくて、ただのノロケだったりすんの? そういうのは他人とかあたしの前じゃなくて、本人の前でやってよね。多分、言うだけ無駄なんだろうけど。


初出:20091219
close
横書き 縦書き