ひさしの下
いつになく晴天が続いているのだ、と街で聞いてはいた。
初夏にしては雨が少なく、地域によっては農作物の生育に影響が出ていることも新聞で見た。
とはいえ、この日差しはない。
陽気というにはいささか強すぎる日差しのもと、アンジュはふうと大きく息を吐いた。
「兄ちゃん風起こしてぇな」
「それだったらイリアだろ。水出してもらえよ」
「いやよ。あれ結構体力使うんだから」
暑さにやられているのは子供たちも例外ではない。
アンジュの少し先、やいやいと言いあう姿はいつもと変わらない。だが、ほんの少しだけ覇気がなかった。
普段なら一言いえば二言返すイリアが、今日ばかりは口数少ない。すぐ横を歩くルカも足取りは重く、首元のスカーフを緩め手で風を送っていた。
「ルカ君大丈夫かしら」
口の中で小さく呟く。ただでさえ厚着なのだ、このまま歩いていては体調を崩しかねない。
手の甲で額を拭う。ふと顔の横になにかが過ぎった。黒く長い腕が指さすのにつられ、視線を遠くへ投げる。
「あそこで一度休憩を取るぞ」
指先には旅人が休めるようにだろう、野営地のような場所があった。すぐ横には森があるが、そこに植わった木が枝葉を伸ばし天然の庇が作られている。
時間帯も相まって、影はかなり広くできている。今は人影も見えないため、ゆっくりと休むことが出来るだろう。
「あなたは暑くないんですか?」
「暑い」
即答だった。
額からつっと汗が一筋伝って、首元のスカーフに吸い込まれていく。
ただでさえ重装備なのだから、今更なにをいわんやである。
やっぱり、と言いかけてやめた。もう一度ふう、と息を吐く。どれだけ呼吸しても太陽の位置も、日差しも変わりはしない。
「……場所、変わりましょうか」
アンジュの位置から見上げるリカルドは、ほんの少しだけ陰って見える。
それは日差しを遮るように、彼が立っているからに他ならない。リカルドの影に隠れながら、アンジュはもう一度顎を上げる。
真っ黒なコートは太陽に照らされ、わずかに白く照り出されている。白い頬は赤くなっているかもしれない。
しかしリカルドは首を横に振るだけで、なにも言うことはしなかった。
変わらなくていいとも、余計な気を回すなとも、普段なら一言付け加えるのに。
やはり熱さにやられているのだろう。なら、なおのこと無理はしてほしくなかった。
「倒れられたら困ります」
「そこまでヤワじゃない」
返ってくる言葉は短い。やはり辛いのだ、とそれだけで分かる。
彼はいつもそうだ。痛みや負担に慣れているせいか、自分のことをいくらか後回しにする癖がある。
出逢ってすぐのときはアンジュを優先し、グリゴリを経た今では子供たちもそれに含まれている。
「依頼人に倒れられる方が困る」
言って、前を向く。もう一度顔を見上げると、額にいくつも汗が浮かんでいた。ほらやっぱり、自然と眉が寄る。
「依頼人の体調管理は契約の範疇外だって言ってたのに」
そう言われたのも随分前のことだ。
あの時と比べれば熱さは大分ましだが、それでも体調を崩しかねないのには違いない。
「できない仕事でも引き受けるのが、出来る傭兵というものだろう」
すらりさらりと、涼やかな声。
普段と変わりのない物言い。暑いことは認めても、辛いのだとは言いたくないらしい。
「みんな、あそこの日陰で少し休憩しましょう」
顔を上げ、声を張り上げる。
先を行く子供たちはぱらぱらと振り返った後、はぁいと間延びした返事をした。ルカも片手こそ挙げて見せたが、返事はない。やはり早く休んだほうがいいかもしれない。
小さな日陰の中、アンジュは前を向く。
じりじり照り付ける日差しを避け、ひとりだけほんの少し涼しい場所を歩く。そのせいで刺すような日差しに撃たれている人がいるのに、嬉しいと思ってしまう。
気遣ってくれることは素直に嬉しい。そして同時に、喜ぶ自身を恥じた。
行きましょうか、と言うと、ああ、と声が返る。
アンジュの歩に合わせてリカルドも進む。動く日陰からはみ出したスカートが、ぎらり日差しに照らされて白くきらめいた。
宿に戻ったら、冷たいものを用意してもらおう。
子供たちは甘くて冷たいジュースを、自分たちはレモンを絞った炭酸がいいだろう。少しだけ塩を振れば、より体に染みわたるはずだ。
想像すればまたより暑さが増すような気がした。短く息を吐いて、また前を向く。
「暑いですね」
飲み物と一緒に冷たいタオルも用意してもらったほうがいいだろうか。
ずっと日差しにあたっていたのだ、きっと陽に灼けてしまっているだろう。
アンジュは日に灼けても少し痛むだけだが、リカルドはどうだろうか。元々肌が白いのだ、真っ赤になってしまうかもしれない。
なにより顔の半分だけ日焼けしてしまうのは、さすがにかわいそうだった。
「そうだな」
ぽつり声が頭上に声が落ちる。一緒に汗が伝って落ちたのが見えたけれど、気付かないふりをした。
「早く街に着かないかしら」
冷たいタオルで触れたらどんな顔をするだろうか。
嫌がるだろうか、それとも冷たさに目を細めながらも受け入れてくれるだろうか。できるなら後者であってほしい。
あなたが自分を労わるのと同じように、自分だってあなたを労わりたい。優しさには優しさで報いたい。
そう思うのは、決してわがままではないはずだ。
「まったくだ」
細い影を受けながら、もう一度ちらり視線だけを上向ける。
白く細いかんばせ。わずかに寄った眉根に疲労の色を見取るとアンジュはもう一度前を向いた。