リカルド・ソルダートは友人が少ない
リカルド・ソルダートは友人が少ない。理由は明白、皆死んでしまったからだ。
十代、兵学校の同期だった者は五割が戦死した。
二十代、傭兵として独り立ちした時に知り合った仲間は半数が生きて帰らなかった。
三十代、辛うじて残っていた者も死んだ。古傷の悪化、痴情のもつれ、流行病、事故、謀殺、死因は様々。
元々特定の人物と親交を深めるのは得意ではない。
仕事上の知り合いはそれなりにいるが、はっきり友人だと言える人物は片手で足りる。故郷で古物商を営む男性と、行きつけの酒場の店主、傭兵を辞めて農家になった同期。今も傭兵を生業としている者はゼロだ。
父親も死んだ。叔父も死んだ。前世の兄も死んだ。
これも死神ゆえだろうかと自嘲していたけれど、いつの間にか笑うのも億劫になってしまった。
「え、おっちゃん友達おったん」
友達はいるか、と質問した張本人が目を丸くして言う。背はすっきり伸びたが丸い頬と目は変わらないままだ。
「お前は俺をなんだと思っていたんだ」
「うーん、ぼっち?」
喉まで出かかった言葉を飲み込む。出会ってから何年経ってもエルマーナの軽口は治る気配がない。
窓の向こうでは子供のはしゃぐ声が聞こえる。ボールを追う声の中、さて、と言ったのはどちらだろうか。
「今回はこの二人な」
手渡された資料に目を落とす。一枚の書類に少年の写真が二枚。内容の薄い身上書はさっと視線を動かすだけでさらえてしまう。
「……問題ない。ただレグヌム出の奴は苦労するぞ」
「ちょっと大変でも平気やって言うてた」
エルマーナが孤児院を立ち上げて、二年半になる。元孤児の少女が設立者という物珍しさも相まって、有閑階級からの支援も多い。
だが資金にも限りはある。後から増える子を食わせていくために、一定の年齢に達した者からどこかしこかへ『仕事』を探しに行くのが決まりだ。どこかの商家の下働き、貴族の従者、傭兵に。リカルドはガラム傭兵ギルドとの仲介役を担っていた。
実入りの良い傭兵になりたいと志願する者は多いが、最後まで残る者はそういない。
厳しい訓練を経て最後まで残った子供をリカルドもエルマーナも止めなかった。全身吐瀉物にまみれ、泥水を啜ってもなお行くのだというものを誰が止められるのだろうか。
「死ぬかもしれんぞ」
「まあ、死ぬかもしれへんな」
互いにゆったりと言葉をつむぐ。
「でもそんなん誰だって同じやん。他の子よりちょおっとだけ、早よなるかもってだけで」
本人が決めた道を応援するのも親の務めだと、エルマーナは続ける。
「……まだに十八なったばかりの小娘が偉そうに」
「もう十八ですぅー。立派な大人やねんで」
そう言って胸を張ってみせる。確かに背は伸びた。ノースリーブニットから覗く両腕は相変わらず細いが、昔よりは肉がついただろう、だが。
「その割には胸も尻も足りんと思うがな」
視線の行き先に気づいたのだろう、わざとらしい動きで胸を隠す。長い手足が子供のようにばたばたと世話しなく、まるで喜劇のようで。
「ひっど! そんなんやから友達少ないねんで!」
暴言とは裏腹に唇は僅かに笑んでいる。その様が面白く、思わず口元を押さえる。口角は凍りついたように固まったままだった。
「君は、友人は多い方か」
「友達ですか?」
急な質問にもアンジュは表情を変えない。手の中のグラスを回すと、氷が触れ合って高い音を立てた。
「仲がいい子はいましたよ。すっかり疎遠ですけど」
「だが逢おうと思えば逢える?」
「そうですね。連絡を取れれば」
薄暗い店の中、会話はぽつりぽつりと解けて消える。奥のほうで時々笑い声が聞こえる程度で、互いの会話の内容もまともに聞き取れない。二人の会話も、ただの環境音楽にしかならない。
「ああ、君の言うとおりだ」
ひどく枯れた声になった。どうせ誰も聞きやしないのだと思えば、取り繕う気もなくなる。ましてや隣にいるのが彼女ならば尚更。
「死にさえしなければいつかまた逢えるだろうに」
脳裏に浮かぶのは、志願してきた少年たちのこと。
レグヌムの路地裏で残飯を漁って生き延びていたところをエルマーナに拾われてやって来たという。
薄暗く湿った路地で二人きり、必死で生きてきた。それを友人と呼ばず、半身と呼ばずなんと呼ぶのか。
人は死ぬ。エルマーナの言うとおり、人より少し早く死ぬかもしれない。ただどちらかが早く死に、もう一方はしぶとく生き残る可能性もあるのだ。
「死んだら終いだろうに」
兄を亡くした日を今でも夢に見る。
細く枯れた体が海に落ちる様を、鉄製の棺が雲の下へ消えていく様を、繰り返し繰り返し飽きもせず。
酷い絶望感の中で飛び起き、吐き気を催すほどの後悔に苛まれる。あの時、あの瞬間、ああしていれば、代わりに自分が。もう何年も続く終わらない責め苦。
そんな苦痛を年端も行かない少年に与えるのか。
そんな後悔を大人にもならない少女にさせるのか。
「心配性なんですね」
頬のあたりに熱を感じ、ちらと隣へ視線を移す。案の定アンジュと目があうと、にこりと花のように微笑んでみせる。それが意味するところはひとつ。
追求しようかと思い、やめた。この五年間アンジュに口で勝てた試しはない。そもそもとうに見透かされているのだ、肩肘を張るほうが間違っている。
「誰のことだ」
「さあ、誰のことでしょう」
ちくはぐな会話の合間にグラスをあおる。氷が溶けて薄くなったウイスキーが喉を通り抜けていく。
「今度、みんなでご飯を食べましょうか」
ぽつり、アンジュが口にした。優しい音色はまた店内の喧騒に混じってリカルドの耳にのみ届く。
「次はスパーダ君も来られるかしら」
「あいつなら来るだろう」
半年前に食事会を開いたとき、スパーダは欠席だった。軍事訓練で地方の島にいたらしく、その後逢ったというルカからとても拗ねていたと報告を受けている。今度は何につけても駆けつけるに違いない。
「死にさえしなければ逢えますもの、ね」
グラスから離れた指がリカルドの甲に触れた。引かれるように顔を上げれば、微笑みが返る。
「そうだな……ああ、それがいい」
リカルド・ソルダートは友人が少ない。
数は両手で足りるほどで、そのうち半数はいつまで経っても生意気な子供たちだけれど。
それを捨てたいとは微塵も思わない。人の死に慣れたわけでもない。年を重ねるほど、守るべきものが増えるほど人は臆病になると言ったのは誰だったろうか。
生きている限り悲しみと後悔から逃げることは出来ない。いつか足を取られて飲み込まれて、落ちる。
絶望の淵に、死の間際に思い出す記憶が、どうか幸せなものであれとささやかな抵抗を試みる。
重なった手はまるで、祈るように組まれていた。