つかんではなさない

六人で旅をすると決まって一番最初にしたことは、先導役を決める事と当番表を作ることだった。年齢性別、出身も境遇も全く違う集団が円滑に行動するために必要なことは一定のルールだ。
誰が料理を作るのか、誰が夜営で火の番をするのか、誰が買出しに行くのか。小さな歯車ではあるが、きっちり嵌まってしまえばあとは馴染んで動いていくようになる。
そうして作った当番表に従い、今日の料理当番はアンジュになった。
昨日宿を発ち、今は街道の真っ只中にある。出立前に買い込んだこともあり、食料は潤沢にあったがそれが却ってアンジュを悩ませていた。
次の街までは四日程かかるだろうという見通しのため、その間の食事を考えて食料を割り振らなくてはならない。今まで旅をして分かったことだが、肉より野菜に困ることの方が多かった。肉は野うさぎや野鳥を捕まえればいいが、店売りの葉物と同じように食べられる植物を調達するのは存外難しい。
つまり今この時点で使える食材は足の速いものと、前の街に着くまでに使い切れなかったものになる。
「今日のメニューは決まったか」
食材を入れた袋を見ていると、いつの間にかリカルドが横に並んでいた。今日の彼は水汲みの当番だ。
「乾燥豆が残ってるので豆のスープにしようかな、と」
たっぷりの豆と野菜を少し、それだけでは味気ないのでベーコンを多めに入れれば味もしっかり出るだろう。街を出るときに買ったパンも美味しいうちに食べてしまいたいから、スープと一緒に添える。残ったミルクは夜に出すコーヒーに入れれば傷む前に使いきれるはず。そう答えるとリカルドはふむ、と小さく頷いた。
「野菜が少ないように思うが」
「量も買えませんでしたし、しばらくは節約しようと思って」
「まあ仕方あるまい」
素っ気ない言葉に少しだけの落胆を感じる。見上げれば顎のラインが目に入る。
「なにかリクエストとかありました?」
「いいや、ない」
答えはさらりとしたものだった。そうですかと返事をすると、そのまま調理に取り掛かった。


次の街についたのは、五日後の事だった。
入った宿屋は簡易キッチンが備付けられており、食事は自分たちで用意するシステムだった。食事当番はぐるりと回って再びアンジュになった。
「わたしって料理下手なのかな」
たん、と包丁がまな板を叩く。弾みで転がっていったニンジンの端を摘んでかごへ放った。
「なんで? アンジュのご飯美味しいと思うけど」
答えたのはルカだ。手にはジャガイモと包丁が握られている。
「だってリカルドさん、わたしがお夕飯の相談してもあまり乗り気じゃないみたいなんだもの」
そうなの? とルカが首を傾げる。真っすぐに瞬きするその目は本当に分からないと言ったふうだ。ルカの表情を横目で見つつアンジュは話を続ける。
「わたしが料理当番の時は大体適当なの。今日もお夕飯のリクエストを聞いたら、カレーでいいんじゃないかって言うし」
ああだから、とルカが呟く。目の前に積まれた食材はすべてカレーの材料になるものばかりだった。六人分の野菜はずしりと多く、下準備だけでも骨が折れる。ルカが担当しているジャガイモもまだザルにたっぷり残っている。
「ハルトマンさんほどじゃないけど、それなりに作れるつもりなんだけどなぁ」
サラダ用のレタスをちぎりながらアンジュのぼやきは続く。ナーオスで振舞われたハルトマンの料理は玄人はだしと言って良いほどに美味だった。あのレベルに達するには元のセンスは勿論、相当の鍛錬が必要だろう。
神学校でも教会でも当番が回ってくれば問題なくこなしていたし、美味いと言われることはあっても不味いと言われることはなかった。元々食事は好きだし、料理自体も嫌いではない。とびきり腕がいいとは思わないが、とんでもなく下手だとも思わない。
可もなく不可もない。プロの料理人ではないのだから、そういうものだと思っている。だが。
「でも、カレーって誰が作っても大体美味しくできるじゃない」
野菜と肉を切って炒め、店売りのスパイスを入れて煮込む。スパイスを練り合わせるのが少し手間だが、ひどく焦がさなければ大体食べられるものになる。レシピどおりに作ればまずはずれがない料理だ。イリアもエルマーナも、勿論リカルドだって作れる。
「だからそういう、失敗しても大丈夫な料理を勧められるっていうのが少し悔しいっていうか……あんまり期待されてないのが嫌っていうか……」
言葉の最後はほとんどぼやきになる。ふと、向かいのルカが小さく吹き出した。口元を押さえているのは一応控えようと思ったのだろう。
「なんで笑うの?」
思わず拗ねたような声になった。ルカは笑いを浮かべたまま、ジャガイモの皮剥きに戻る。
「だってリカルドって食べられるときに食べるって人だけど、美味しくないものでも進んで食べるってわけじゃないよ」
確かにその通りではある。
傭兵という仕事上、満足な食事が摂れないときもあるだろう。だが動かなくてはいけないのだから、好みでなかったりまずかったりしても体に入れなくてはいけない。しかし食材の好き嫌いや味付けの好みはある。
「だからカレーって指定してきたってこと?」
なにを作ってもまずいのなら、せめて誰が作ってもそれなりに食べられるものがいいということだろうか。渋い顔になるアンジュに、ルカは困ったような笑みを浮かべる。
「うーん、そうじゃなくて」
机の上に並んだ材料を眺めると、再びアンジュに向き直る。少しだけ困ったように眉が下がっているのが見えた。
「きっとアンジュの作ったカレーが食べたかったんじゃないかな」


皿洗いの当番はリカルドだった。ルカたちは食事を済ませてすぐ、自分たちの部屋に戻っている。時々遠くから笑い声が聞こえるのは、なにかカードゲームでもしているのだろうか。
水の流れる音と皿が擦れあう音。背の高いリカルドと流しの高さは微妙に釣り合わず、少し前屈みになりながら皿を洗っている。
アンジュはその隣で洗った皿を受け取り、拭く手伝いをしていた。男性の手に包まれて手渡される皿は不思議と小さく見えた。
「リカルドさん」
「なんだ」
返事は簡素。視線は皿の方へ向けられたまま、アンジュに向けられることはない。
「カレーお好きですか」
「別に嫌いじゃないが」
やはり返事は簡素。いっそ愛想がないと言ってもいい。
ルカの言った言葉を思い返しながら口を開く。
「じゃあ、わたしの作ったカレーは好きですか?」
かちり、と皿と皿が擦れあう音がする。蛇口の水は一定の水量を保ったまま流しへ注がれている。一拍、二拍と手が止まる。皿の濯ぎを再開するもリカルドの視線は流しへ注がれたままだ。
「……何故、君のと限定する?」
「今日おかわりしましたよね、二回」
「そうだな」
淡々とした口調。少しもブレようとしないのが心の奥を焦らす。
「しかも結構よそいましたよね」
「腹が減っていたのでな。君も食べたかったのなら謝る」
そういう事ではないと言い返したいのをぐっと堪える。彼の中でアンジュはどれだけ食いしん坊な認識なのだろうか。
ざあざあと流れる水音を背景に、深く深呼吸する。
「もう一回聞きますね。わたしの作るカレー好きですか?」
「……美味いからな」
零れた声を聞き逃すことはなかった。これはもう肯定だ。そうとしか思えない。
「どこが美味しいのか聞いていいですか」
浮かれてしまいそうな心をぐっと押さえ込んで聞く。どうしてそこまで聞きたがるのかとでも言いたげにリカルドは顔をしかめたが、少しだけ考えるような仕種を見せた。
「野菜が大きいのがいいし、肉が柔らかく処理してある所だな。味付けもしっかりしているのもいい」
ぱらっと振った言葉に目を瞬かせる。まさかいきなり三つも出てくると思わなかった。
「……野菜、大きいほうが好きですか」
「食いでがあるからな」
野菜が大きいのは修道院時代からの癖だ、よく食べる人だから気に入ってくれたのかもしれない。続けてふたつめ。
「お肉、処理してたの分かったんですね」
「それくらいは分かる」
処理と言っても隠し包丁とガーリックで下味をつけるぐらいのものだが、ちゃんと分かってくれていた。少し声がはしゃいでしまったが、構わず続ける。
「味付け、お好きですか」
「コクがあってスパイスがしっかり効いてるところがいいと思うが」
スパイスの量は気持ち多めにして、隠し味にコーヒーを少し足している。コクというのは多分それだ。
そこまで味わってくれているのだと思うと、胸の奥がざわざわとさんざめく。足元が動き出しそうな衝動をなんとかこらえて、平静を装う。
まだ続けるのか、と声がした。これ以上続ければ話を打ち切られてしまうかもしれない。その前に最後の質問を投げかける。
「前、ミルクスープにしたとき本当は」
口にした瞬間、リカルドが顔を逸らした。耳たぶと髭のラインだけがアンジュの方を向いている。
「ちょっとなんで目を逸らすんですが」
「断る」
「だめです、ちゃんと見てください」
「断る」
流しの水がざあざあとうるさい。出しっぱなしになっている事よりもなによりも、リカルドの頑なさに驚いてしまう。
両頬を手で包んで無理矢理に顔を向かせる。少し手が濡れているが構う暇はない。しかしアンジュの腕ではびくりともしない。子供のような態度に焦れて声を上げる。
「あなたが恥ずかしがりやなことぐらい知ってますっ」
「な、っ」
動揺したのか力が抜ける。その隙に顔を向かせたが、それでも少ししか動かせない。かろうじて見える顔の半分、頬が赤い。
普段は無表情な事が多いくせに、照れたり恥ずかしがったりするとすぐ顔に出るのだ。肌が白いから余計目立つのもある。そこが小さな綻びのようで、ひどくいとしい。
「今度からちゃんと、言って下さいっ」
食べたいメニューがあるなら、美味しいと思うなら、好きなところがあるなら、よくないところがあるならそれも。知りたいと思うのは罪ではない、他ならぬこの人のことならなおさらに。
「美味しいって言ってもらえるのは、嬉しいことなんですから。だからちゃんと、教えてください」
ぐんと見上げたまま口にすれば、ちらりと目線が寄越された。細めた目から青い瞳がこちらを見ている。やはり頬は赤い、だというのに逃げないのだ。ああもう、なんて人なのだろう!


以後、アンジュが料理当番の時は決まってカレーになった。
肉はチキンだったりポークだったりとまちまちだったが、野菜は大振りでたっぷり入れるのが定番だった。材料が充分でない野営中などは別メニューになったが、アンジュが料理当番になる=カレーという図式が完成するのにそう時間はかからなかった。
「たまにはシチューとか別のメニューにしない?」
という意見にも、アンジュはにこやかに
「今カレーの研究中なの」
と言うだけだった。
なぜ研究するのか、研究とはなんなのか、そもそもそこまで味は変わってないのでは、と誰もがが思ったがアンジュの食への執着心を知っているため口を挟むのはやめた。
ただひとつ、カレーの辛さが少し強くなったのとリカルドがおかわりする回数が増えたようにはみえる。
「リカルドってアンジュの研究に付き合わされてるのかしら」
と囁いたのはイリアだった。スパーダとエルマーナも多分そうだと顔を見合わせて頷く。そのやり取りの向こう、黙々とカレーを頬張るリカルドと、にこにこと嬉しそうなアンジュを見て、ルカはこっそりと笑うのだった。

2017年ごろ。イベントペーパーの再録。
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